槻欅

私について、色々と。

「二年連続不合格者主席」

 二年連続で不合格者主席だった。

 2019年春、おおかた受かるだろうと思っていたK大学に落ち、近所の私立大学へ進学していた。中学や高校の時分、まさかそこへ通うことになろうとは思わず、内心小馬鹿にしていた大学である。入学間もない頃は、朝、目が覚めれば、Kにいるような気分だった。こんな屈辱は受け入れられない。

 約一ヶ月後、初夏、成績開示の通知が届き、呆然とした。81位、646.75点。まず、81位という数字を凝視した。なぜなら、合格者が80人であったことを知っていたからである。言葉が出なかった。加えて、合格最低点を見ると、648.25点とある。1.5点差だ。当時は、これらの数字だけで思考停止していたが、仮面浪人を決めた後の一年弱、あの問題さえ、あのとき二択まで絞って迷ったこれさえ合えば、と苦しみ続けることとなる。一問は本当に重い。

 大学では基本、友人を作らなかった。唯一の友人かつ仮面浪人仲間である理工学部の彼を除けば、編入を考えていると言っていた一人、第二外国語で隣の席に座っていた一人と多少の情報交換をする程度の交流しか持たなかった。講義のない日も足繁く大学に通い、図書館などの自習スペースに大量の過去問や参考書を置き、朝から晩まで座席を分捕っていた。一日ではやりきれないような、持ちきれないような量を毎日、大学へ運んでいた。そればかりか、講義前後の休み時間は当然のこと、講義中にまでわざとらしく机上に赤本や黒本などを積んで受験勉強に勤しんでいた。嫌な奴である。

 そうした「努力」も虚しく、センター試験の成績も芳しくなかった。しかし、ここまで来たらどこか国立に受かりたい。そこで、前期は、いかにも入りやすいと思えるS大学に出願した。昨年の倍率は1.7倍、よほどのことがない限り、いけるだろうと高を括っていた。しかし、センター試験最後の年ということもあり、よほどのことが起きた。倍率4.4倍。高を括っているほどに舐めていたこともあり、案の定、落ちた。そして、後期はK大学。普通、後期は前期よりも入りやすい大学にするのが定番であるが、S大学よりも入りやすい国立大学はなかなか無い。もし前期に落ちたら、駄目で元々、因縁のK大学で美しく散るか、とでも考えて出願した。合格発表日、やはり私の番号はなかった。

 2020年春、主戦場を編入に切り替えることにした。さすがに三浪を主戦場にはできまい。外出自粛だの、オンラインだので先行きが見えない中、以前から頭の片隅で考えていた編入予備校へ通うことを決意した。とは言うものの、しばらくは端末を見ながら受講する日が続いた。

 そして、初夏、お待ちかねの成績開示である。どちらが先に届いたかは記憶が定かではないが、まずはS大学。順位は真ん中ほど。倍率が4倍であるから全く惜しくもない。去年なら受かっていたかもしれないなという程度だった。

 K大学から封筒が届いた。あまり気が乗らない。落ちたからというわけではなく、不合格者主席だった昨年よりも遠のくことを確信していたからだ。粋な負け方なんて調子の良いことを言うつもりはないが、普通に落ちるよりも話題性があり、合格者ともさほど変わらないのだと自尊心も保たれる。しかし、ここで普通に落ちてしまえば、そんな「栄光」も上塗りされ、廃れてしまう。しかし、封筒を開ければ、面白いものが飛び出してきた。16位、547.45点。目を疑った。確か、今年の定員は15人だと。そう思い、調べてみると、やはり定員は15人。前年度から5人減らされた15人だ。そして、辞退者が3人いる。合格最低点からは1.55点であるから、点数という意味では去年よりも遠のいたが、本来、追加合格されてもおかしくないところにいたのだ。これはもう、去年の成績も含めて、事実上の合格と言っても良いではないか。そうは言っても、不合格である。今年も去年と同様、不本意な大学に通い続けなければいけないのだ。もはや、残念だとか、悲しいだとか、そんな感情は湧いてこない。呆れた。呆れを通り越して、なんと愉快な人生か。こんなことはなかなか無いぞ。二年連続不合格者主席を肩書にして生きていこう。同じ大学に二年連続ギリギリで、落ちる人なんてそうそういないのだから。

 反面、不安もあった。編入試験もこの調子で落ちるかもしれない。今年落ちたらどうするか。編入浪人をしよう。では、来年も落ちたら。編入試験は大学が個々別々に行うため、なかなか試験日が被らない。そこで、受けられる分だけ受けようと思った。国立大学文系の試験日を片っ端からカレンダーに書き込んだ。10月、11月は毎週末が試験日になった。北は北海道大学、南は琉球大学まであらゆる国立大学を検討し、学部も法にとらわれず、文、経済など広く考え、それに合わせていくつかのパターンの志願理由書を作成した。編入は偏差値も出ず、未知数なため、どれだけ受けても全落ちもあり得る。それが不安で堪らなかったのだろう。

 しかし、そんな不安もよそに、結果は快調であった。怖いくらいに。9月に受けた、O大学経済学部、N大学環境科学部、KGW大学法学部、KT大学人文社会科学部、すべてに合格してしまった。学問分野がてんでバラバラである。また、O大学やN大学は直前になって思い立ったものであり、とにかく受けられるだけ受ける一環のものであった。こうも上手くいってしまうものなのか。本当にそうか。

 

 本来ならば、今、幸せなんだろう。新たな人生に期待を膨らませているのだろう。

 私はそうもいかなかった。いや、たしかに合格までは幸せだった。しかし、このまま、約半年後に期待を持って良いものかと、私の本能は懐疑的である。この幸せが、唐突に壊れる日があるのではないだろうか。その心当たりも無いわけではない。いつもであればさほど心配していなかった事柄が、あれは、これはと思い浮かぶ。今まで、いかに適当に生きてきたかを痛感する。自身の醜さに目を覆いたくなる。そして、念願叶って、やっと国立大学に合格した子の幸せを喜んでいる親への申し訳なさで胸がいっぱいになる。幸せを手にして、はじめて自分の醜さに本気で向き合った。

 幸せなうちに死んでしまえたら。最近は、そんな言葉が頭の中をぐるぐると巡る。